最近、医療、介護、福祉業界でよく耳にするノーリフティングケア。
介護する側、される側ともに安全・安心な、持ち上げない、抱え上げない、引きずらないケア(考え方)をノーリフティングケアといいます。
ここでは、ノーリフティングケアの生まれた背景、そして何が必要で、何から始めたらよいのか分からない、医療・介護従事者の方に向けて紹介します。
なぜ今ノーリフティングケアなのか?
現在、とてつもない勢いで少子高齢化が進んでいます。
このままいくと、要介護者が増え続けるのに介護者の数は減っていくという最悪の事態に。
実際、私たちが働いている介護の現場では人が足りない、しんどい、つらい、そして辞めていく…。
こういった悪循環に陥っている事業所の方も少なくないんじゃないでしょうか。
また今より自由に生きるための資金を得るために、そもそも仕事をしないと生活していけないために、60歳以降も現役で働くといった選択をとられる方も増えています。
こういった高齢労働者に問題となってくるのが、筋力、体力の問題。
若い時には多少無理をしても大丈夫であったのが、少し無理しただけで肩・腰・背中が痛くて動けないといったことに。
そして最悪な場合、退職へとつながってしまいます。
もちろん、こういった問題は高齢労働者だけでなく、若い労働者にだって起こります。
医療福祉現場における労災のうち、特に腰痛が非常に大きな割合を占めており、退職の原因にもつながっています。
このような中で、現役労働者数を確保し、老若男女すべての人が安全に働ける職場環境づくりが強く求められています。
そこで登場したのが、「ノーリフティングケア」。
近年、日本では「ノーリフトⓇ」という言葉が使われることが多くなってきましたが、これは、ここで説明している「ノーリフティングケア」と同じ内容のものになります。
そもそも、ノーリフトⓇとは、オーストラリア看護連盟(ビクトリア州)が看護師の腰痛予防のために1998年ごろから提言したもので、危険や苦痛を伴う人力のみの移乗を禁止し、患者・利用者の自立を考慮した福祉用具使用による移乗介護を義務付けるものです。これが、「ノーリフティングポリシー」と呼ばれ、次第に「ノーリフトⓇ」と合言葉のように使われるようになりました。
日本ノーリフト協会ホームページより引用
このままで本当にいいの?ノーリフティングケアは働き方を変える!
日本の全産業の中で、未だに高い腰痛割合をたたき出しているのが医療・福祉業界になります。
これには、いくつかの理由が考えられますが、大きな理由の一つに、
手作業=暖かい、人間味のある、素晴らしい介護といった考え方が根付いている点があげられます。
確かに、手で触れることでより親密感や安心感を与える面や、繊細なタッチなどにより細かい配慮などもできる部分もあり、医療福祉の現場でも積極的に使われる場面もあります。
しかし、ここで重要なポイントがあります。
それは、「本当の幸せは自己犠牲から生まれるものではない」ということ。
この考え方については、賛否両論あるかとは思いますが、あえて批判を覚悟の上で書かせていただきます。
これは、20数年現場で医療福祉に関わってきた私自身も行き着いた一つの答えでもあります。
私自身も、若い頃には目の前の患者さんに対してできる限り、親身に接するようにし、移乗介助などを行う際にはできる限り、患者さんに傷を作らないように、負担にならないようにと自分の体を省みずに対応していた時期がありました。
しかし、ある時座位バランスが不安定な、少し体格の立派な患者さんをベッドから車いすに移乗させようとした時のこと。
危うく転落しそうになったところを必死で持ち上げ、自身の体で受け止め事なきを得たのですが、その際に腰を痛めてしまい、結局その後数日間、その患者さんだけでなく、他の患者さんの対応もできなくなるということがありました。
目の前の患者さんを手厚くしっかりと対応することは、医療職なら当然のことなのですが、それによって自身の健康を害してしまい、他の多くの患者さんの対応に当たれなくなっては、本末転倒ではないでしょうか。
もちろん、こんな失敗しないよ!という方もおられるでしょうが、意外とよくこういう場面あるんです。
この時の自分を振り返ると、介助方法や頼れる福祉機器の存在をあまり知らず、まだまだ未熟だったなぁといつも思います。
また、別の日のできごと。
車いすの上で座っていた患者さんのお尻がどんどん前に滑ってきており、明らかにしんどそうな状況。
それを見つけた後輩のAさん。
その患者さんの後ろに回り、両脇から腕を通して「いち、にの、さーん」と勢いよく後ろに座りなおしをしてあげていることがありました。
一見すると、とても良いことをしてあげたようにも思えますが、その時の患者さんの顔はひきつっていたことは今でも覚えています。
その翌日の入浴の際に脇から胸にかけて内出血を認め、受診の結果、肋骨骨折が判明!
こんな、悲しくなるような出来事って、実は医療福祉業界では日常茶飯事です。
でも、これってこの職員が悪いわけじゃないんです。
今までは学校などの養成機関や先輩からはこういう場合には、こうやるようにって、普通に教えらえてきてたんです。
こういった事例を見聞きするたびに、これって本当にプロと言えるのか?これでずっと安心して仕事を続けられるのかといった疑問が沸いていました。
日本においては、平成25年に国の腰痛予防指針が改定され、「人力での抱え上げは、原則行わせない。リフトなど福祉機器の活用を促す」ことが明示されています。
現段階では指針にとどまっているため、守らなければすぐに罰則ということにはつながらないものの、事業者、管理者は労働環境の管理体制が問われてきているんです。
環境を整えるとともに、腰痛予防の必要性と、従来の人力での抱え上げを基調とした介護方法を行わない技術、方法を指導しながら職員の働き方を変えていくことが急務になっています。
介護×AI,ロボット,ICT
現在、AIやロボット、ICT技術の進歩には目を見張るものがあります。
多くの業種は、様々な部分にこのような技術を取り入れて発展させてきています。
介護業界にも、当然この波が押し寄せてきています。
むしろ、人材不足、負荷の大きい業務内容にこれらの技術がぴったり当てはまることで、大きく未来が開ける予感がしています。
私が以前、受講した研修で講師の先生がよく「ノーリフトで文化が変わる」と話されていました。
ノーリフティングケアで、働き方を変える。
まさに、今まで凝り固まっていた概念を払拭する力が、ノーリフティングケアにはあるんじゃないでしょうか。
何が必要なの?
ノーリフティングケア導入に向けて必要な道具(よく使われているもの)は以下の通り。
(後日、別の投稿で福祉機器については個別に紹介させていただきます)
- リフト(天井走行リフト、床走行リフト、スタンディングリフトなど)
- スリングシート(リフトを使う際に体を覆う布)
- スライディンググローブ
- スライディングシート
- スライディングボード
- 車いす(ひじ掛け、足を置く部分が外せるもの)
- 高さ調整の可能なベッド
- 動きやすい服装
- 滑らない靴
- その他
上に必要なモノをあげてみましたが、実はこれらより大事なものが…。
ノーリフティングケアに必要なものは何ですか?といえば、
「今を変えようとする気持ち、そして同じ想いをもつ仲間」です。
よく、ノーリフティングケアを始めるには、機械が必要だ、お金がかかる、設置場所がないなど、ここに書ききれないほど多くの意見(その多くは否定的)が聞かれます。
確かに介護用のリフトやちょっと多機能な車いすなど、買いそろえようとするとそこそこ費用がかかります。
けれど問題はそこではないんです。
確かに多くの場合、道具から入る、形から入るという方法をとることが多いと思います。
これでうまく導入が進んだ事業所も中にはあるでしょうが、多くの場合は買ったものの思ってた効果が得られない、使いたい患者さんに使えないなどの理由から、倉庫に置いてます!って言われる事業所さんが意外と多いんです。
これじゃ宝の持ち腐れになるし、そしてこういった場合、途中でノーリフティングケア導入が止まってしまうといったことにつながりやすいんです。
そこで機器導入の前に、必要なことを書いておきます。
- その機器の購入理由は?
- どんな場面で、誰に使うのか?
- 使用方法は難しくないか?
- 保管場所は?
- メンテナンスやランニングコストは?
- 補助金の対象になっているか?
最低限、これらのことを、しっかり検討してから購入をすすめてくださいね。
最後に記載した補助金については、国や各都道府県で独自に設定された補助金がありますので、お住いの障害福祉課などにお問い合わせください。
なお、この補助金には申請期限などもあるので、利用を検討されている方は、その点もご注意ください。
何からはじめたらいいの?
さて、必要なものについては前項で記載しました。
しかし、ノーリフティングケアを活用して働き方を変えていくためには、単にリフトなどの福祉機器を導入する、使い方を覚える、そして介護職だけが気を付けていくことではありません。
導入にあたって、何からはじめたらよいのか?
この答えは、組織体制をしっかり整える(マネジメント)にあります。
組織体制をしっかりとしたものにしていくために、まずは事業所内にノーリフティング推進チームや委員会といった組織を立ちあげることがおススメです。
多くの事業所内には安全衛生委員会や衛生委員会といったものがあると思います。
まずは、そこで進めていくのが手っ取り早いかと思います。
そして、その推進チーム内での役割担当をつくっておくことも重要です。
例をあげると、
①統括責任者(マネージャー)
全体を指揮する統括者になります。
多くの場合、所長クラスや委員長になります。
②健康管理者
職員の健康管理を担当。
職場内で、定期的に行われている腰痛アンケート実施者や、医療担当スタッフが適任。
③福祉用具管理者
必要な福祉機器の導入を検討したり、メンテナンス、保安などを担当。
④教育担当者
事業所内の研修会や教育体制を企画・運営。
ここには、現場をよく把握している現場主任などが適任。
⑤個別アセスメント、プランニング担当者
利用者に応じて、アセスメントを行い個別のケアプランを作成。
ケアマネージャーやサービス管理責任者などが適任。
これらの担当者が、定期的に集まる。
まずは事業所内で、何が課題となっているかを知ること。
これには、実際にそこで働いている職員に聞いてみることが一番の近道です。
直接聞いて回る時間がない場合には、アンケートなどをとってみるのもよいかもしれません。
そしてもう一つ大事なポイントとして、
最初からがんばりすぎないこと。
いきなり、難しい課題から手をつけないこと。
ここが非常に重要になってきます。
筆者の経験上、今までやってきた仕事の流れを変えることは、思いのほか骨が折れます。
誰だって今まで良かれと思ってやってきた方法を、「さあ明日から変えてください!」って言われても、「はい、分かりました!」とすぐに動いてくれる人は少ないと思います。
なぜ変える必要があるのか?
どうしてその方法をとるのか?
といったことを、時間をかけて説明し、納得して動いてもらうことが、継続して続けられる大きなポイントです。
圧倒的なカリスマ性のある指導者の下であれば、鶴の一声でバッサリ変わるのかもしれませんが(笑)
期待される効果
腰痛の予防
リフトやスライディングボードなどの福祉機器を使ったり、介助方法を見直すことで働き方が変わり、身体への負担は大きく減少します。
実際、ノーリフティングケアを導入してから腰痛の発生者がゼロになった施設や、腰痛が悪化することがなくなったとの報告もたくさん出ています。
二次障害の予防
力任せによる抱え上げなどにより、対象者に対して本来起こるはずのなかった障害(関節拘縮、傷の発生など:二次障害)を予防することができます。
負担をかけずに介助することで、対象者は心身ともに安心し、筋肉や関節への負担が減り、「関節の動きが良くなった」、「ベッド上や車いす上での姿勢が良くなった」など、身体状態が改善する場合もあります。
コミュニケーション、ゆとりの確保
リフトなどを使うことで、対象者と目を合わせながら、会話しながら介助することができるようになり、忙しい業務時間内でも介助の一コマが、大切なコミュニケーションを育む場となりえます。
また、余裕をもって介助にあたれることで、対象者をしっかり観察することも可能となります。
女性や体格の小さな方でも、安心して対応することができるため、職員が少ない現場でも単独での介助も可能となり、その結果、ゆとりをもって仕事にあたることができます。
さいごに
ノーリフティングケアの導入にあたり、必要なことを簡単にまとめてみました。
介護人員の減少や、労働環境の負担が叫ばれている中、ノーリフティングケアの導入により、腰痛の減少だけでなく、事業所全体の雰囲気が明るくなり、自発的に考えて行動できる職員が増えたとの報告もあります。
福祉機器を導入となると、最初は費用面などで二の足を踏む場合もあるかもしれませんが、ノーリフティングケア=機械を使うケアではありません。そして、ノーリフティングケアは、直接介護を行う人だけのものでもありません。
普段生活している中でも、ノーリフティングの考え方で身体が楽になる場面が多くみられます。
落ちたものを拾うときには、膝を曲げて座り込んで拾う、重たいものを運ばなければいけない時には、キャリーなどを使う、小分けにするなど、例を挙げればキリがないほどです。
人生100年時代と言われて久しい今、身体に優しく組織の風土を大きく変える可能性があるノーリフティングケア。
ぜひ、その一歩を一緒に踏み出していきましょう。
ご意見、ご質問などございましたらお気軽に問い合わせフォームよりお願いします。
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